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社会の中で生きる私が、合理的な判断をしたいと考えたとします。そのためには、私の周りの人々が、どのように行動しているのかを調べ、それを元に理論を作って未来を予想する必要があります。ところが、周りの人々が自由に行動しているのであれば、1人1人の行動を調べるのにも、そこから理論を作って予想をするのにも時間がかかります。その間に、1人1人は自由に行動してしまうので、予想が意味をなさなくなってしまい、合理的な判断をすることができなくなります。

しかし、特殊な状況では、合理的な判断を下すことが可能になります。それは、人々が統制されてロボット化されてしまっているときです。個性はなくなり、全員が決まったルールに従って動いているので、自分の周りの人々の行動を単純化して理論を作ることができるようになり、予想することができます。そして、その予想に基づき、合理的な判断を下すことができます。

 

人間の集団を記述できるための条件

 

合理的な判断ができないことに不安を抱き、機械論的安心感を求めると、ロボット化された集団形成を受け入れることになり、心の自由を失っていきます。一方で、私たちの心が自由になると、合理的な判断ができない状況が生まれます。だからこそ、生命論的構えが重要になります。合理的な判断ができない状況に耐えられるからこそ、心の自由と、生命論的安心感を感じながら生きていけるのだと思います。

私たちは、学校や社会で生きてきた中で、無意識に取り入れてしまっているものについて、1人で気づくことは難しいです。しかし、盲点を共有していない、他の人の視点に触れると、少しずつ気づくことができます。

私は、魂の脱植民地化、言い換えれば、脱ロボット化を進める対話のムーブメントを広げていこうと思い、様々な人同士でZoomで60分間対話し、その録画動画をYoutubeにアップしていくというプロジェクトを始めました。それが、「生きるためのX」です。

 

生きるためのXは、次の3つの狙いがあります。

(1)対話によって、自分の盲点に気づくこと
(2)話す内容を決めずに対話をしていくことで、生命論的構えを身につけること
(3)在り方を発信するメディアを作ること

やり始めた頃は、話す内容を決めずに対話するのが不安でした。機械論的構えが身についていたので、計画がないと不安だったのです。でも、ただ相手の話を受け取り、そのときに自分の心に沸いてきたことを相手に話すという繰り返しで、私にも相手にもとても豊かな学びが起こるという体験を繰り返していくうちに、準備をしないで対話することに対する不安が消えていき、生命論的構えが身についてきました。

すると、対話に限らず、プロジェクトや、ファシリテーションの場などでも、必要以上に準備しなくても良いのだという気づきが生まれました。準備の多くは機械論的安心感を満たすためのものであり、そのような安心感が必要なくなると同時に準備も必要なくなったのです。

生命論的構えとは、言い換えれば、自然体であることであり、周りからやってくるささやかなサインを見逃さずに、自分の生き物としてのダイナミクスを信じて反応することであり、不安に駆られて準備をすることに気を取られて、サインを見逃さないようにすることです。それらが、Zoomでオンライン対話を繰り返していく中で、体験を通して身体に染みこんできました。

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